2011.09.29 Thu
大川隆法の正体 「重症の自己愛性人格障害者」
大川隆法は「自己愛性人格障害」
しばらくぶりの記事更新となります。
大川隆法の正体(人間性)は「重症の自己愛性人格障害」である、というテーマです。
まあ、こんな記事をわざわざ書かなくても、もはや「幸福の科学」は「落城寸前」ですね。
いうなれば、槍でもって頭を貫き砕かれた「蛇」と似ています。
もう「頭」はすでに死んでいますが、まだ「尻尾」のほうだけが辛うじてピクピクと「最後のあがき」で動いているような状態ですね。
時間が経てば、完全に「滅び去る」であろうことは、もはや確実な情勢で、後戻りはできません。
とは言え、せっかくブログ化しましたので(笑)いちおう記事を(少しは)書きすすめておこうかと思います。
今後も記事更新の頻度は、著者の気まぐれ次第となりますが、気長に更新をお待ちください。
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<「自己愛性人格障害」=「こんなに凄い私を称賛しなさい」という病気>
もうすでに、多くの信者さんが「脱会」を始めているわけですが、その最大のキッカケは、選挙騒動、大川きょう子との離婚問題、最近の「霊言のお粗末さ」を通じて、どうも「この大川隆法」という教祖は
「まともな人間性じゃない」
「やってることが、どうも異常すぎる」
「言ってることも、ウソだらけ」
「平気でウソをついても、自己反省のカケラもない」
「他人を道具のように扱っても、良心の呵責すら感じないらしい」
という劣悪な実態が、誰の目にも明らかになってきたことでしょう。
「霊言は、大川のサル芝居」
「教義は、他宗のオカルト知識の寄せ集め」
「救世主なんてのは、まったくの大ウソ」
と本当の姿が「バレて」しまったわけですね。
「ペテン」がばれて、誰にも通用しなくなったペテン師ほど、この世に哀れな者はいません。
さて、こうして明らかになった「大川隆法の素性」ですが、その特質をよく見れば、精神病理学で言われている「自己愛性人格障害」という症例にぴったりと符合することが分かります。
例えば、wiki(アメリカの診断基準DSM-4)では以下のような定義がされています。
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①「自己の重要性」に関する「誇大感覚」
(例:自己の業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず「特別に優れている」と認められることを強く期待する)
②自分は、限りない成功、権力、才能を持っている、 という「都合のよい妄想」にとらわれている。
③自分は「特別な存在」である、 他の特別な、地位の高い人達にしか理解されない、という思い込み。
④「過剰な称賛」を求める自己顕示欲、虚栄心の強さ。
⑤「特権意識」、つまり、特別有利な取り計らいを求め「自分の期待」に自動的・盲目的に従うよう、周囲の人間に強いる独裁者性向。
⑥ 対人関係では、相手を不当に利用する。
「自分自身の願望」を達成するために、平気で他人を利用する。
⑦「共感能力の欠如」「他人の気持ち」を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
⑧自分より評判の良い他人に「嫉妬する」または、他人が自分に「嫉妬している」のだと思い込む。
⑨「尊大で不遜」な行動、または態度が際立つ。
5つ以上が当てはまると、「自己愛性人格障害」の可能性が高い。
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ということなのですが、大川隆法は見事に「フルスコア」を叩き出しそうな勢いです。
・異常なまでの「虚栄心」「自己顕示欲」の強さ
・自分を偽って「特別な存在」「凄い人間」だと見せたがる傾向性
・そのためなら、平気でウソを言い、他人を道具のように操作する
・自分を「特別な独裁者」と考え、周りの人間を、 自分を称賛するために役立つ「道具」としてしか見ていない
こうした病状、症例は、昨今の大川隆法自身の言動を見れば、誰にも明らかに分かることです。
<「特別なすごい自己イメージ」が「彼らの栄養源」>
幸福の科学の教義は、大川隆法自身の「自己愛的傾向」によって、大川の「虚栄心」を満足させるように歪められています。
つまり、あの教義の本性は、大川自身が自分の「自己愛」を満たすためのパラノイア(妄想体系)です。
GLAやら生長の家といった、他宗のオカルト教義を寄せ集めて、さらに、大川自身の「自己愛」「虚栄心」を満足させるように「寄せ集め教義」を捻じ曲げて、歪めていけば、「大川隆法=生き神・根本仏」というような「異常な教義」ができあがるわけです。
自己愛性人格障害の人たちは、自分を「特別に優れた存在」「優越した存在」だと、他人から称賛され続けることを、切実に求めます。これが無いと、彼らは自分たちの「脆い不安定なパーソナリティー」を支えられません。
こうした「特別に優れた自己像」に酔うことを「誇大自己感」「幼児的な万能感」と言いますが、こうした「自己称賛」を異常に求める歪んだ自己愛的な傾向性が極限にまで行くと、「自分が全世界を作った神」であって「特別な存在」として私を称賛すべきであるのだ、という「異常な自己愛的妄想」にまで行きつくわけです。
しかし、この異常な「虚栄心」「自己評価欲」の裏には、根深い「劣等感」が潜んでいるものです。
実際のところ、本人も無意識では、自分の「無能さ」「つまらなさ」「劣等性」に気がついています。
本当は、自分が盛んに喧伝しているほど「特別に優れた存在」でもなければ、卓越した能力も持っていない、それが、彼らの「実像」「実態」なのです。
しかし、自己愛性人格障害の人たちは「ありのままの自己」「等身大の現状」を受け入れることができません。
実際よりも「何十倍、何百倍」も、自分を大きく見せなければならないという「狂気じみた自己演出」の努力を行うはめになります。彼らはいわば「現実の自分」を「客観的に直視できない病気」です。
「ありのままの現実の自分」を受け入れがたいために「脳内妄想」「都合の良い夢想」に逃げ込もうとします。
こうした「無意識に行われる現実逃避」のシステムを心理学では「防衛機制」と言いますが、「否認」=「現実」を否定して、無かったことにしてしまう。都合の悪い現実は見えない。
「反動形成」=「現実」の自己像を覆い隠すために、正反対の自己像を演出しようとする。
「合理化」=「現実」をありのままに受け入れられないため、自分に都合のよいように「歪めて解釈する」
大川隆法の言動には、こうした「幼児的な防衛機制」がフル動員されています。
大川隆法が盛んにやっている(というか、彼はそれ以外には「何もできない能無し」ですが)ハッタリ、ホラ吹き、大ウソ、を繰り返して「特別に素晴らしい自己像」を演出しようと必死になるわけです。
そして、どうだ自分は「こんなに有能で特別な存在なのだ」という自画自尊と、周囲からの称賛を実感できなければ「自分はなんてダメで、無能な、つまらない人間なんだ」という極端な「ウツ状態」に陥ります。
彼らは、傲慢不遜の「誇大自己」を膨らませて有頂天になっている自己陶酔のなかで、「幼稚な万能感」に浸っていることを求めるわけですが、この試みが失敗したらすぐに「惨めで哀れな自己イメージ」へと転落します。
現在の大川隆法は、おそらくこの状態でしょう。
「極度のウツ状態」「破壊された誇大自己感」が特徴です。
彼らは、このように「誇大自己像」を膨らませて、万能感に酔いしれる傲慢不遜の極みにある状態と、現実の「惨めで無能な自己像」を直視させられフタをしていた「深い劣等感」に打ちのめされて「極度の鬱」に陥る状態との正反対の「2つの極」を交互に行ったり来たりしています。
これは、教祖である「大川隆法」本人を見ていてもそうであるし、幸福の科学の「典型的信者」もまた同様であることがお分かりでしょう。
彼らにはいつもの「傲慢不遜さ」「万能感の強さ」の裏で「些細な批判や挫折」には、たいへんに脆いという共通した傾向性があります。この「極端すぎる両極性」「自己イメージの脆さ」も、自己愛性人格障害の特徴だと言えます。
彼らの妄想している「誇大自己像」や「万能感」は、しょせんは「にわか作りのメッキ」にすぎません。
自分の脳内で、勝手に主観的に膨らませている「現実に根拠をまったく持たない夢想」にすぎません。
だからこそ、些細な批判を受けたり、挫折体験によってボロボロと簡単にメッキが剥がれおちて、現実の「ありのままの自己」を嫌でも直視させられる事態に陥ると、彼らは「誇大自己像」によって支えられていた「万能感」「浮揚感」「高揚感」「自己肯定感」を失って急激に「しぼんで」しまいます。
つまり、この意味では、彼らは「非常に脆くて弱い人間」なのです。
なぜならば、彼らが「肯定的な自己像」「万能感」「高揚感」を持ち続けるためには、周囲の他人から「称賛」をもらい続けなければならず「他人の評価」に全面依存しているからです。
自分で「自分を支える力」が弱く、肯定的で、安定した「自己像」を維持することができないため「狂気じみた演出」に明け暮れ「他人からの無限の称賛」を求めざるを得なくなるのです。
こういうふうに、見ると「幼稚」で「不安定」で「極端」な人格である。
いわゆる「アダルトチルドレン」そのものだ、ということが、お分かりかと思います。
では、こうした「自己愛性人格障害」というものはどういった因果関係によって、形成されるのでしょうか?
それには、彼らの生まれ育った家庭環境、成育歴、特に、母子関係、父子関係に光を当てなければなりません。
そこには、親の「極端な養育態度」があります。
彼らの親は、子供を「全く無視するか」ある条件を満たせば「異常に溺愛するか」のいずれかです。
「心理的なネグレクト」(無視)をずって受け続けて育ったため、彼らの内面には「健全で肯定的な自己イメージ」がうまく成長していません。
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