2011.10.01 Sat
ニセ霊言を暴く① 「聖書」を知らない自称・内村鑑三の霊
「ニセ霊言」の実態
「幸福の科学」「大川隆法」の十八番は、いわゆる「霊言」と称する偽チャネリングです。
この記事カテゴリー(ニセ霊言の実態)では、過去の「インチキ霊言」の検証を書いていきたいと思います。
明らかに「ニセモノ霊言」だと分かるものを挙げてみましょう。
まず筆頭に挙がるのが「内村鑑三霊示集」です。
これは「内村鑑三」「預言者エレミヤ」による霊言らしいですが、
・「聖書」と違う「トンチンカンな内容」を語る
・「内村鑑三の家族構成等」を間違えている
といった「致命的なミス」を連発していて、これが「創作霊言」「自作自演」であることがバレてしまっている本です。
この霊言に限ったことではなく、どうも善川や大川は、キリスト教関係については「ド素人」みたいですね。
「聖書」についての知識は、相当ないい加減で、キリスト教関係の霊言をやらせれば「ボロ」がいっぱい出てきます。
おそらく、大川隆法本人も、仏教方面は多少なりと類書を読んで、わずかな知識を得ていたのでしょうけど(それとて、正しい理解であるとは言えないレベルですが)キリスト教方面は、以前と変わらず、ほとんど素人レベルの知識なのでしょう。
現在の大川隆法の知的劣化※の状況からして(※抗精神薬のクスリを長期間飲み続けたせいでしょう)たぶん、今なら「仏教関係者の霊言」をやらせてみても、突っ込んだ教義内容について喋らせれば、ボロが多々出るでしょう。
大川隆法の「聖書理解」は「幼稚園レベル」
「内村鑑三の霊示集」には、幾つもの致命的ミスがあります。
① 「旧約聖書の神」の名前を「アラー」と間違えている。
② キリストの誕生日が、クリスマス(12月24日)だと思っている。
③ 内村鑑三の娘が死んだ年代、娘の人数すら間違っていた。
④ 内村鑑三自身は「日清戦争の支持者」であったのに、 日清戦争に反対した、という記述になっている。
以上の点から見ても、この「内村鑑三霊示集」は「ニセ霊言」「インチキ霊言」であり、善川三郎(大川の父)による「創作本」「ゴーストライター本」である、という事実が明らかです。
ちなみに「内村鑑三霊示集」は、1980~1990年代の古い時代に書かれた「旧・霊言シリーズ」ですが、この「旧・霊言シリーズ」の大半は、善川三郎(大川の父)による「インチキ霊言本」です。
霊媒師役として喋っているのは「大川隆法」ですが「霊言」の中身(シナリオ)を前もって書いていたのは、父兄であった善川三郎や富山誠です。
つまり、当時の大川隆法にとって善川三郎は「ゴーストライター」でした。
まずは、①の間違いから見ていきましょう。
「旧約聖書のなかで、アラーという神が出てきて、天と地を分け、さまざまなものをつくられたことになっています。」
(『内村鑑三霊示集』大川隆法著、109頁)
もうこの時点で「ニセモノ確定」でしょう。
旧約聖書の神は「ヤーヴェ」と呼ばれていて「アラー」なんて、聖書中ただの1度も登場しません。
にも関わらず、この「自称・内村鑑三の霊」は、旧約聖書では「アラー」という神が出てきて、天地創造をしたのだ、まことしやかに喋っているわけです。
そもそも「アラー」が登場するのは「イスラム教」の経典コーランです。
どうやら、善川三郎の頭の中では、イスラム教とキリスト教の区別がついていなかったようです。
おそらく、善川も大川も、GLAの高橋信二や生長の家の谷口雅春が喋っていた、まがいものの「聖書解釈」を、よく確かめずに、そのまま鵜呑みにしていたために、こんな「トンチンカンな聖書知識」を書いてしまったのでしょう。
これは、現在の大川隆法についても同じで、最近の「ミカエル/モーゼの霊言」などを読んでも、この人は「イスラム教」と「キリスト教」と「ユダヤ教」の3つの世界宗教について、教義内容の違いがほとんど分かっていない、ということが分かります。たいして、よく分かっていないのに「憶測」や「表面的イメージ」だけで適当に喋るから、まるで「ユダヤ教徒のようなミカエル」になってしまうわけです。
カエルの子はカエル、いや、大川の場合は「カエル以下」で、善川にすら及びません。
②についても、聖書についての無知が明らかです。
「今日は1986年の12月20日です。クリスマス・イヴまであと四日、クリスマスの当日まであと五日、言うまでもなく12月25日とは、イエス・キリストの生まれた日です。」(『内村鑑三霊示集』大川隆法著、192頁)
「今、霊的な目で二千年の風景を振り返ってみると、何と清らかな、何と聖なる夜でありましたでしょうか。12月24日の夜は。外には、雪が降っておりました。午前中から雪が降りはじめて、かなり大きなボタン雪となりました。そして、夕方の五時半頃まで降ったでしょうか。大きな雪だったので、地面に十センチぐらいも積もりました。そうした夜にイエスは生まれたのです。寒い寒い夜でした。私は、その情景を今でも目にありありと思い浮かべることができます。」
(『内村鑑三霊示集』大川隆法著、194~195頁)
よくもまあ、こんなウソを抜け抜けと書けたものだ、と感心します。
「ボタン雪」なんていう「日本人的な風情」まで付いています(笑)まるで「私小説作家」にでもなったつもりだったんでしょうか。
こんな調子で、善川三郎の「作家気取り」で「他の霊言集」も書かれていたわけです。
まず、事実からいうと「聖書」に書かれている「キリスト生誕日」は12月24日の夜ではありません。
「ルカ福音書」の記述からして「冬」ではありえない。
「春~夏」だろうというのが定説なのです。
しかも、聖書の記述では「雪が降っていた」とか「積もっていた」なんてことは一切どこにも書かれていません。
それどころか、当日はよく「晴れていて」羊飼いたちが「野外で寝ていられる」ぐらいに気温が高かった(暑かった)という記述がされています。
そもそも、あの「中近東」のパレスチナ地方に、どうして「ボタン雪」が10cmも積もるんでしょうか(笑)
そんな「異常気象」であったのであれば、ルカやマタイといった聖書記者がきちんと言及しているはずです。
クリスマス=12月24日=雪が降る=寒い夜、という日本人の「一般的なイメージ」でもって、それらしく書いてみたら「筆が滑って大失敗」したというオチです。
こんな「大ウソ」を「ワタシ、天上界から見てました」と言って、しゃあしゃあと述べる「大ウソつきの霊」はいったい誰なのでしょうか(笑)
ちなみに、ユリウス暦の12月24日を「キリスト生誕祭」として祝うようになったのは、古代ローマ帝国で「キリスト教が国教化」されてから後です。
古代ローマの「太陽神の祝祭日」であった12月24日を「キリスト教の祝祭日」としてリニューアルしたのが起源です。
「冬至」(22日ごろ)になって、太陽の光が最も衰えた後、新しい輝きを伴って、再び昼が長くなっていく時期として
「太陽の復活」=「イエスの復活」になぞらえているのです。
ですから、実際にイエスが12月24日に生まれたのではありません。
後世になって、勝手に12月24日に、キリスト教の祝祭日ができた、というだけなのです。
こんな「常識的なこと」すら、あの善川&大川親子は知らないのですから
「聖書本文」の正しい理解や解釈が、彼らにあるはずはありません。
彼らの「聖書知識」は素人とほとんど変わらないレベルです。
③④の内村鑑三の「家族構成や史実」との食い違いについては、以下にある関連記事を参照ください。
いずれにしても、これらの「致命的ミス」が語ることは、この「霊言本」は、内村鑑三本人によるものでも、預言者エレミヤによるものでもなく、善川三郎と大川隆法による「インチキ本」「自作自演」にすぎない、という隠しようもない事実です。
【転載元】
「幸福の科学」の「隠蔽された実態」 -元信者の証言- (by remonstrateHS氏)
http://hs7jittai7info.blog.fc2.com/
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